2019-06-07 第198回国会 参議院 本会議 第24号
この乗艦した「かが」は、ミッドウェー海戦において沈没した当時の日本海軍の最高レベルの正規空母「加賀」と同じ名前ですが、何と両艦の長さが二百四十八メートル、ぴったり、全く一緒なんですよ。調べていてびっくりしました。防衛大臣、まさかわざと同じ寸法にしたんじゃないでしょうね、お答えください。
この乗艦した「かが」は、ミッドウェー海戦において沈没した当時の日本海軍の最高レベルの正規空母「加賀」と同じ名前ですが、何と両艦の長さが二百四十八メートル、ぴったり、全く一緒なんですよ。調べていてびっくりしました。防衛大臣、まさかわざと同じ寸法にしたんじゃないでしょうね、お答えください。
これらの事柄についても、具体的な事業見通し、それから、緩衝地帯や安全地帯を含めての敷地の面積等々について、地元の住民は、かねてから、日本海軍時代、あるいは朝鮮動乱のときのアメリカ軍の弾薬庫としての急な接収、それからまた今の状態になったというふうなことで、大変、農地やそれぞれの個人の所有地の移動が頻繁に行われて、土地のことについては大変困り果てた事情があり、特に、国有地となっている耕作放棄地等のイノシシ
圧倒的な米空軍の打撃攻撃力、日本海軍が築き上げた施設の大半を占有する米海軍、海兵隊用の沖縄の広大な訓練用地と海、そして極めて少ない米陸軍兵力、安全保障の視座に大きな影響を受けました。 また、このとき、米軍高官より、在日米軍は日本に侵攻する勢力の根拠地を打撃攻撃力でたたくことにより、安保条約上の日本防衛義務を履行すると聞きました。総理、これは事実でしょうか。
最新鋭の艦艇ではなかったけれども、それでも日本海軍の貢献は高い評価を受けたとされております。 実は当時、イギリス、フランスなどから欧州大陸に日本陸軍の派遣要請もありました。日本政府はこれを拒否しております。欧州大陸への日本陸軍の派遣の拒否は、対華二十一か条の要求などもあってイギリスの失望を招き、日英同盟の破棄の一因になったとの指摘がなされております。
ですから、この当時の日本の海上保安庁は、日本海軍が敷設した機雷が日本近海に約五万個ございました、それから米軍が敷設したものが約五千個ございました、これをずっと除去をしてきたと。このぐらい熟練している人たちが、実は朝鮮戦争に行って、ロシア軍が敷設した機雷の処理中に沈没していると。
その一つであります、インドネシア・ボルネオ島、カリマンタン、ポンチアナック、「日本海軍占領期間中蘭領東印度西部ボルネオに於ける強制売淫行為に関する報告」という文書があります。 この文書の中においては、一九四三年の前半に、ポンチアナック海軍守備隊司令海軍少佐ウエスギ・ケイメイは、日本人はインドネシアあるいは中国の婦人と親密なる関係を結ぶべからずという命令を発しました。
御指摘の資料、「日本海軍占領期間中蘭領東印度西部ボルネオに於ける強制売淫行為に関する報告」につきましては、法務省から平成十一年度に移管を受けましたA級極東国際軍事裁判記録ナンバー五十二の一部として、平成十二年四月から既に公開しているものであると承知しております。
これは戦前のある海軍軍人の言葉ですけれども、日本海軍は全力で日本陸軍と戦い、余力で米軍と戦っているという極めて自嘲的な言葉を残しておりますけれども、そういった戦争という極限の中でもそんな状態だったわけです。そういった図式は今もやはり変わっていないんじゃないかというふうに思いました。一体どこを向いて仕事をしているのか、政府当局の猛省を促しまして、私の質問を終わりたいと思います。
先般読みました本におもしろい言葉がありまして、戦前の海軍中将大西滝治郎という人の言葉ですが、日本海軍は全力で日本陸軍と戦い、余力で米軍と戦っている。つまり、セクショナリズムということを打破していくことがいかに大切か、それをやらないと戦略性は出てこないというふうに思っていますので、ぜひお願いしたいと思っています。
それで、最後に議事録について私の意見もちょっと聞いてもらいたいなと思うんですけれども、これ十六日の読売新聞にちょうど出たんですけれども、日独伊三国同盟、過去の第二次世界大戦の前の昭和十四年八月八日に、板垣陸軍大臣が日独伊三国同盟を早急に締結すべしと言ったのに対して、米内海軍大臣が、勝てる見込みはありません、日本海軍は米英を向こうに回して戦争をするように建造されておりませんと答えたということが、五大臣会合
そこで、資料には配っておりませんが、一つの記事を紹介させていただきますと、去年の六月に、台湾の、中華民国の最高監察機関、監察院が、第二次世界大戦の日本海軍の震洋特攻隊基地を確認して、市政府に史跡保存を要請しているというようなニュースがございました。外国にして、日本の戦争遺跡といいますか、こういったものを保存してくれるという話は非常にありがたいと感じ入るものがございました。
ずっと行きますが、実は国立公文書館に所蔵されている太政官指令の中でもその旨の記載があるので、日本陸軍や日本海軍が、このように朝鮮領土であると。松島と書いてございますが、これは今の竹島を言うわけで、てれこのようなぐあいになっています。 一番大きな問題は、二〇〇八年の七月に、アメリカの連邦政府の機関である地名委員会が韓国領と記載した。
総理も官房長官もよく御存じだと思いますが、この日本海海戦で日本海軍がロシアのバルチック艦隊に勝利したと。しかし、当時日本には継戦能力、戦いを続けていく能力、もう余力がなかったと。そこにアメリカがタオルを投げたと。で、ようやくポーツマス条約というのが締結されたと。しかし、国内においては情報統制がされていましたから、勝った勝ったの連戦連勝の報道だけと。
○参考人(福地茂雄君) NHKは、私どもは、先ほど申し上げました世界の平和の理想の実現、人類の幸福の実現、そういったものに向けまして今後とも精力的に番組の制作を続けてまいりますが、具体的に申し上げますと、二十一年度に実施いたしましたのは、八月に総合テレビで「ノーモア・ヒバクシャ 核兵器のない世界を目指して」、それから「忘れないで、わたしたちの戦争」、それからNHKスペシャル「日本海軍 四百時間の証言
法律に書いてあるからできませんという形になると、現在はシビリアンコントロールでございますが、前原さんが恐らく私よりもはるかに造詣が深いでありましょう、まさに戦略性なき日本陸軍の悲劇であったりあるいは責任感なき日本海軍の悲劇というものを法律上の規定がないからとめられないということと一緒になるのかと思います。
そのときに助けられた方が、その後スウェーデンなど、外交官になられて、九死に一生、敵である日本から攻撃を受けて撃沈をして、そしてその兵士を一人一人、その「雷」の乗組員でさえ十分な食料があるかどうかもわからないところを引き上げて、そしてまた、今や諸官は日本海軍の名誉あるゲストであるというふうにその当時の工藤という艦長に迎えられたということ、これを世界各国で、世界各国でというかあちこちで、日本海軍に助けられた
それで、ちょっと次に移りますが、昨年の十二月のこの委員会で中曽根外務大臣は、戦争中にインドネシアで日本海軍の「電」と「雷」という船が英国の軍隊の船を撃沈したけれども、その四、五百名の英国の兵士が海上に漂っているのを全員助けて、服を与えて食料を与えたと。そのとき助けてもらったイギリスの軍人が来日をし、その歓迎会を行ったと。
ただいま御質問ありました日本海軍の「雷」の話でございますけれども、これは元海上自衛隊の恵隆之介氏の書いた本がございます。これによれば、日本海軍の「雷」に救出された英国人兵士は、ボルネオ島バンジェルマシンに停泊中のオランダの病院船、オプテンノールと申しますけれども、これに収容されたということでございます。
私は、日本は大戦末期、周辺海域に一万二千個の機雷を敷設された、日本海軍はその除去に取り組み、その作業は終戦後も営々と継続され、やがて海上自衛隊に引き継がれた、海軍が残してくれた良き伝統と任務を引き継いだ海上自衛隊が堅実に訓練に励み、技量を磨いてきたからであると答えました。自衛隊がいざというときに国のために力を発揮するためには、どうしても日ごろからこうした訓練を継続実施する必要があります。
そのときに初めて分かったんですが、フィンランドには日本人として大変有名な三有名人がおるということが分かりまして、一番有名なのはもちろん東郷平八郎元帥でありまして、日本海海戦でロシアのバルチック艦隊を日本海軍が負かしたものですから、それでロシアの中にいろいろ矛盾が起き出しまして、結果的にそれがロシア革命になりまして、一九一七年のロシア革命の中でフィンランドがロシアから独立したということで、独立の英雄、
海自は、日本国民と日本政府の事実上頭越しに旧日本海軍幹部らと米海軍幹部の合作として生まれたいきさつから、最初からシビリアンコントロールを尊重する気などはなかったとする論文もあるんですね。 防衛大臣、見解を聞かせてください。
しかし、日本海軍だって、すべてが正しかったわけではない、反省しなければいけない点もたくさんある。むしろ反省しなければいけない点の方を、今の海上自衛隊にもちゃんと反映されているかどうかも見ていかねばならないと思います。 もう一つ、また機会があれば委員と議論をさせていただきたいのですが、ここ数年といいますか、冷戦終了後、安全保障環境が大きく変わったということはいつも申し上げておるところでございます。